2005.6.29 入 院 (手術前日)
7時30分に義両親に医大病院まで送ってもらう。予定ではダンナに途中まで送ってもらい、電車で病院まで行くつもりだった。80に近くなった義父の運転は、義母でなくてもヒヤヒヤもので(笑)、病院の駐車場に停まった時は心底ほっとした。
入院手続きが開始するまでの間、食堂でモーニングをいただいた。義母は留守番している犬たちにと、モーニングのゆで卵を持って帰った。入院受付の前で義両親は帰っていったので、ひとりで入院手続きを済ませ(入院宣誓書の提出と保険証のコピー取り)、婦人科外来へ向かった。
婦人科外来では、入院計画書みたいなレジュメを渡され、鼻の粘膜の採取をされた。多分、風邪を引いていないかとか、そんな検査だと思う。綿棒で鼻の穴をくすぐられて、少しむずむずした。
今日入院する人たちがそろったので、病棟ごとに自分の病室に向かった。わたしの病室は63病棟で、ふたりが今日入院だった。早速寝巻きに着替えるように言われる。売店とかにも行きたかったので、Tシャツとジャージにした。看護師さんが来て、家族構成や病歴、アレルギーの有無などを尋ね、リストバンドを左手首につけてくれた。熱は37.3度。血圧も少し低めだった。その時に、生理が始まったことを言った。リュープリンの注射で生理を止めたつもりだったが、少しづつ出血している。隣のベッドの患者さんが40度の熱があるとのことで、荷物の整理は出来るだけ静かにした。
看護助手さんに麻酔科の先生の診察室に連れていってもらった。麻酔は全身麻酔で点滴で行うことや気管挿管で呼吸を確保すること、副作用なども多少はあることなどを説明され、同意書にサインをした。
「話を聞いてくれるだけでもいいんですが・・・」と、麻酔科のM先生が一枚の書類を出してきた。
麻酔が効いてわたしが眠った後の気管挿管を、救急救命士の実習に充てさせて欲しいというボランティアの依頼だった。救急車の中で救命士が活動できる内容はまだ限られていて、呼吸を確保する気管挿管を救急車の中で実施できれば、救命活動もより効果が出てくると言う。麻酔科の先生がそばで指導するとのことなので、同意のサインをした。
とたんにM先生がほっとした様子で笑顔になり、わたしはすぐに診察室に入ってきた救命士のひとにびっくりした。おそらく、わたしが同意するのを隣で待っていたに違いない。二人とも、ニコニコととても嬉しそうだった。
「どのぐらいの手術で実習があっているんですか?」
「ボランティアのお願いをするのは、命に別状のない手術の患者さんだけです。だいたい80%くらいですねー。若い患者さんがよく承諾してくれて、お年の方はあまり承諾してくれないんです」
この救命士さんの実習は、わたしで最後だそうだ(^^; よかったと思うべきなのだろうか。
昼食は普通食だったので、すべておいしくいただいた。あとで看護師さんにどのぐらい食べたかをたずねられた。
昼食の後は主治医のN先生の診察だった。メガネをかけた女医さんで、内診をしたりエコーを見たりしてくれた。生理が始まったのでおりものの様子も診てくれたようだった。エコーでもたくさんの筋腫が見られたようで、大きいものは4センチ、1センチ前後の小さいものの含めると10個以上はあるのではないかとのことだった。筋腫のタネをすべて取り除くのは、難しいらしい。再発はあるだろうから、その前に妊娠したほうがよさそうということだった。N先生が主治医で、手術の執刀をしてくれるのは外来で診てくれたY先生とのことだった。貯血のときの痛さを思い出したら、なんとなく不安なのだが(^^;
診察が終わると、今度は看護師さんがビーカーに入った下剤を持ってきた。砕いた氷が入っていて飲み易くはしてくれているけれど、下剤と言われなければスポーツドリンクの濃い味のようだった。下剤を飲みながら明日の手術の段取りの説明を受けた。わたしは朝一番で9時からになっていた。6時には浣腸されるらしい(TT) 手術に必要な物品の説明もあった。腹帯とT字帯、それと妊婦の後産用のパッド5枚セットを医療売店で購入した。購入したものを看護師さんに渡して、明日の手術の持ち物セットにまとめてくれた。
ここまででひととおりの準備がおわったので、のんびりとテレビを見ていたら、いつのまにか眠ってしまっていて、目がさめたのが夕方5時くらいだった。
6時の夕食のときにダンナが花を持って見舞いに来てくれた。夕食を中断してナースステーションの隣の談話コーナーでいろんなおしゃべりをした。残業をすっぽかして面会に来てくれてありがとう、ダンナ様。
7時で面会時間が終わりだったので、ダンナが帰った後に残った夕食を食べたけれど、昼食がまだお腹にたまった感じで半分以上残してしまった。
手術の後しばらくお風呂に入れないので、シャワーに入った。さっぱりしたところで看護師さんが眠剤を持ってきてくれた。少し昼寝をしてしまったので眠れそうにない。お昼に飲んだ下剤がまだ効いていない。これが効きはじめたら、いったいどうなるんだろう。
明日の手術を不安に感じないように、寝ておかなくては。
2005.6.30 手 術 当 日
朝5時に起きて、トイレに行った。昨日の下剤でお腹がゴロゴロしている。いつもより多めの水のような便が出た。
寝られないのでテレビを見ていたら、6時ごろに看護師さんがきて、浣腸をすると言う。ベッドの上か処置室かと聞かれたので、迷わず「処置室で」と答えた。お尻から何かを入れられて、5分は我慢してと言われたけれど、時計とにらめっこしても3分ぐらいしか我慢できなかった。さっきの残りが出たくらいで、あまり量は出なかった。看護師さんにはどんな便だったかを伝えればよいだけだった。
その後、手術着と手術用のストッキングに着替えた。いわゆるエコノミー症候群を防ぐ固めのストッキングなのだが、普段からむくみ防止のソックスをはいていたので、このストッキングをはくのは難しくなかった。生理が始まっていたので、下着は直前までつけていくことになった。ダンナが来たので、夕べや昨日のことを話しながら呼び出しを待った。
廊下でストレッチャーが待っていて、「歩いていけるのになぁ」と思いながらそれに乗った。看護師さんがストレッチャーを押し、ダンナがついて来るかたちで2階の中央手術室の入り口に着いた。ダンナはここまで。ヘアーキャップをかぶせられ、手術室の看護師さんに引き継がれた。昨日麻酔科で会った救命士さんも待機してくれていた。
わたしが入ったのは、かなり広い手術室だった。真中にぽつんと手術台がある。ストレッチャーと同じくらい狭そうだ。自分で手術台に移った。手術着がはがされ、心電図のモニターが貼られ、腕には血圧計が巻かれた。麻酔科の先生が左手首のところに点滴の針を指した。
「少しづつ麻酔を入れます。ぼんやりしてきたら教えてくださいー」
まだハッキリしてるんだけどなぁ。あ、ちょっと目が見えにくく・・・。と思ったときに、すぅっと意識が沈んでいった。
「marumaruさんー、終わりましたよー」
声をかけられて、目を開けた。手術室の照明が見えた。まだ手術室にいるんだー。何かお腹の様子が変だ。そう思っている間にストレッチャーに移され、ゴロゴロと手術室を出た。病棟のナースステーションの横のロビーでダンナが待っていた。終わったよ、言おうとして手を振った。そのまま自分のベッドに移ったとたん、ガタガタと震えが出た。自分でも止められない。麻酔の影響なのかも知れない。毛布を2枚もかけてもらうと、震えが何とか収まった。
枕もとの時計を見ると、午後1時を過ぎていた。予定より1時間オーバーしているんだ・・・。
「開腹しないで済んだって。完全に腹腔鏡だけで済んだって」枕元でダンナが教えてくれた。
返事をしようとしたら、声がかれて出ない。代わりにうんうんとうなづいた。
摘出した筋腫は4つ、ダンナの親指の先くらいの大きさだそうだ。ダンナが見せられたのはホルマリン漬になっている筋腫で、後で摘出直後の写真をくれると言っていた。筋腫は病理検査に出すそうだ。術後の避妊期間も、生理が2−3回きたら解禁していいらしい。出産はやはり帝王切開になるそうだ。
「はー、何か緊張してきた」ダンナがベッドの柵にもたれかかってつぶやいた。
「何で緊張するん?」
「今夜、お前の実家に手術のこと報告せなあかんと思ってな。心配してはるやろ?」
「ありがとうね。せやけど、わたしの親は、ダンナの親でもあるんやで。緊張せんでもええやん」
ん、わかったー。と言って、わたしのおでこにキスをしてダンナは帰っていった。
ベッドに戻った直後から、生理痛みたいな痛みがあった。傷の痛みもあったけど、わたしはお尻の違和感が何より気になった。実は痔持ちで、腹圧がかかったり何かの拍子で脱肛してしまうと、ちょっとした動作で痛みが出てしまうのだ。
足をもぞもぞしてなんとか寝返りをうとうとしていたら、看護師さんが様子を見に来てくれた。痛み止めの筋肉注射と、姿勢を変えるためのクッションをもらい、少しづつ落ち着く姿勢を探して動き続けた。
左手の点滴も痛い。血管に入っている管が何か神経に触るらしく、肘のところまでビリビリと痛んだ。手首の向きを変えると痛みが消えるときもあった。気管のチューブの影響で、大きな痰が2回も出た。だいぶのどが楽になった。
もう一度痛み止めの座薬をもらって、何とか落ち着いて眠ることが出来た。
2005.7.1 術後1日目
朝一番で採血があった。入院中、3回の採血が予定されている。
1時間に1回くらい、看護師さんが傷の様子を見に来てくれた。熱や血圧を測ったりしていったが、ゆうべは37.4度の熱が出た。
少し動きが楽になったので、横向きになってお尻を触ってみた。おしっこの管がついている。やっぱり脱肛していた。自分で何とか中に押し戻して随分とお尻が楽になった。
今日は起きあがって、歩けるようにならなければならない。わかってはいるがお腹に力が入らなくて起きあがり方がわからなくなってしまった。看護師さんにベッドの頭部を上げてもらった。ミネラルウォーターでうがいをし、一口だけ水を飲んで吐き気がないかどうかを確かめた。口の中の空気をうまく出せず、空気ごと水を「ごっくん」と飲み込んだ。朝食が出ていたので、胸元までおもゆのお椀を持ってきてスプーンですくって食べる。お腹が微かにゴロゴロしているけれど、ガスがまだ出ない。
何とか起きあがれるようになったので、歩く練習をはじめた。台車に点滴とおしっこのバッグを吊り下げ、ドレーン(お腹の水を抜いている管とその袋)を手に持ってトイレまでよたよたと歩いた。近くを通りかかった看護師さんから「足元がしっかりしている」と誉められた。
歩けるようになると欲が出てきて、おしっことドレーンの管を抜いてもらった。看護師さんではなく、研修医の女医さんがやってくれた。ドレーンを抜くとき、お腹の中が吸い付いているような変な気持ち悪さがあった。おしっこの管も気持ち悪かったけど、ドレーンのほうが体験したことのない気持ち悪さだ。
初めてのおしっこのときは、看護師さんについてもらうことになっている。ちゃんと尿意があるか、量はどれくらいか、残尿感がないか確認するためだ。点滴の台車ごと個室に入り、便座にセットされた計量器の中におしっこをした。
「うん、しっかり出てる」と誉められた。歩行とか、誉められると、がんばろうと言う気になってくる。
昼食も重湯だった。一緒についてきたくず湯がおいしかった。牛乳もあったが、ガスが出るまでは乳製品は控えたほうがよいとのことで、冷蔵庫行きとなった。あとで冷たいのをゴクゴクといきたいな。
ナースステーションの前の公衆電話から、ダンナに電話をした。声が出せるようになった、歩けるようになった、おしっこもした、ガスが出ないから重湯ばっかり、といろいろと話をした。手術前の説明から当日の付き添いから、仕事が忙しいのにダンナはわたしに付き合ってくれる。そのせいで残業も多くなってしまったけれど、その分どっかでお礼をするからね。
電話から帰ると、なんと教授回診とかで病棟は医者や看護師だらけになっていた。みんなでぞろぞろと歩く様子は、ドラマの回診シーンそっくりだった。ベッドに戻って待っていたら、「気分はどう?」と聞かれただけで終わってしまった。ちょっと拍子抜け。
回診の後で主治医の先生が来てくれて、手術の説明をしてくれた。筋腫は大小10個以上あったけれど、妊娠に影響のありそうな大きなものだけを摘出したこと、妊娠は年末くらいには挑戦できること、妊娠したら血液をサラサラにする薬と漢方薬を組み合わせた対応を考えていることを話してくれた。また、あれだけ痛い思いをして800ccも貯血をしたにもかかわらず、出血が50cc程度で、まったく輸血をしていないことも話してくれた。いまさら元に戻すわけにもいかず、わたしの貯血は廃棄されることになる。あの苦労は何だったんだ・・・?
「まだガスが出ないんですけどー」
「出来るだけ歩いて腸を動かそうね。予定どおりで退院できそうだね」
腸が動くように下剤を出そうか?と言ってくれた。
夕方には点滴が終わった。明日もう一本あるからと、手首の針は刺さったまま、血液が固まるのを防ぐ薬を注入して、チューブごと包帯でぐるぐると巻きつけられた。左手は、まだしばらく使えない。
夕食のときに、お腹が急に張る感じがした。少しお尻を浮かせたら「ぷぅ」とガスが出た。すぐにナースコールをして知らせたかったが、夕食のお盆を返すついでにナースステーションに「ガスが出ましたぁ」と報告した。
2005.7.2 術後2日目
昨日の下剤が効いて、お通じと一緒にガスも出た。ご飯も、重湯から全粥になって、普通におかずが付くようになった。朝食の後、最後の点滴があったのだが、点滴のチューブをつないでもまったく液が落ちてこなかった。
「ちょっと待っててねー」と看護師さんが何か注射器を持ってきて、点滴の管に注入した。とたんに点滴の針が刺さっているところがむずがゆくなり、また痛みがぶり返してきた。何とか点滴の液が落ちるようになったものの、今度は落ちる速度が異常に遅い。手首と心臓の位置が点滴よりかなり下にないといけないらしく、わたし起きあがってテレビを見ながら点滴を受けていたものだから、速度が遅くなったらしい。確かに、横になると点滴が早くなった。
点滴が終わると、とうとう針も抜いてもらった。これで手術で体に付いている管はなくなり、傷を押さえている腹帯だけになった。マタニティ用のパジャマを着ていたので、普通の夏用パジャマに着替えた。
だいぶ痛みがマシになってきたものの、歩くと傷に響いてゆっくりとしか歩けない。傷をかばってすぐに前屈みになってしまうので、胃と背中に手をあてて姿勢をまっすぐにして歩くようにした。
食事の後、看護師さんが熱と血圧を測りに来たほかはほとんど治療もなく、明日から飲む抗生剤の薬が渡されただけだった。なんか、放っとかれてる感じ。テレビを見たり本を読んだり、ごろごろとすごした。
ダンナに電話をすると、古い友人からお中元が届いているらしい。今回の入院のことを話してなかったなぁ。明日あたり、メールしてみよう。
明日はダンナが荷物を引き取りに来てくれる。後2−3日で退院だ。
2005.7.3 術後3日目
今日の朝食で初めてパンが出た。入院前の説明で朝食をご飯かパンか選択できたのだが、入院5日目にしてやっと希望の食事だ(TT; 手術してから普通食になるまで、ずっと重湯とかお粥とかだったしなぁ。
今朝のお通じでもやっぱり出血してしまった(泣) 看護師さんに塗り薬をお願いしているのだけれど、なかなか出してくれない。手持ちの薬はあと2本しかないのに。
今日からは抗生剤は点滴ではなく飲み薬になった。毎食後に服用する。いつも食事の後に看護師さんが来てご飯をどのくらい食べたか尋ね、熱や血圧を測っていく。手術直後は頻繁に来てくれていたけど、最近はあまり来ない。だいぶ回復してきたし、いいんだけどね。
午前中に看護師さんが来て、シャンプーをしてくれると言う。入院初日以来、シャワーも出来てないから、これは嬉しい。使い捨てのリンスインシャンプーのパックを多めに持ってきていたので、2度洗いをしてもらった。パックは3つ使った。パジャマが濡れてしまったので、Tシャツとジャージに着替えた。看護師さんに尋ねると、シャンプーの予定は看護計画の中で決めてあるそうだ。「今日は○○さん」という具合に。その前にシャンプーを頼む患者さんもいるけれど、わたしの場合は「ちょっと痒くなってきたかなー」ぐらいの時だったので、ちょうどよかった。
お昼前に初めて病棟をでて、売店まで買い物とメールをしにでかけた。お中元を届けてくれた古い友人にお礼がてら手術のことを報告。さぞビックリしているに違いない。病室に戻ると、さすがに遠出の疲れで胸がドキドキしてきた。
開いた時間は、出来るだけ歩くようにした。と言っても病棟内をぐるっと1周するだけ。お腹の中の癒着を防ぐためと聞いていたのに、この病棟では歩く人があまりいない。今日はダンナが来るので、とりあえず不要になった荷物を持って帰ってもらおうと、使ったパジャマやらタオルなどをバッグに詰め込んだ。
よく術後の痛みを聞かれるが、子宮のほうは手術当日の生理痛のような痛みだけで終わってしまった。後はお腹の傷口が痛む程度だ。それでもくしゃみや咳は、お腹に手をあてて用心してからでないとうかつに出来ない。くしゃみは不意うちで来るので、普段思う以上にお腹が動くものなのだなと思った。
午後ダンナが来たので、先月完成したばかりの新病棟のお披露目があっていたので、それに出かけた。新病棟は10階建てで、いくつかの科が移転予定で、産婦人科の外来も3階に設置されていた。今までの診察室はかなり古くさい印象だったので、個人病院までとは言わないが新しい機械なども導入して欲しいなと思った。特に内診台なんてとても古いもので、個人病院から転院してきて最初に内診台に案内されたときは、あまりの古さに驚いたものだ。最上階の病室はすべて個室で、いわゆるVIP仕様の豪華さだった。ユニットバスや大型テレビ、会議室まである。一生、こんなお部屋でお世話になる機会なんてないだろうな。
病棟に戻り、ロビーでとりとめのない会話をした。昨日はダンナは来ず、ほかの患者さんの見舞い客が多かったので、少しばかり寂しいものがあった。やっぱりダンナがそばにいてくれるだけで安心する。
夜、自宅と実家に電話をした。義母には、順調に回復していること、退院の日が決まったら連絡することを伝えた。実家は妹が出たので、とりあえず無事なことだけ話した。もっと話したかったけど、後ろで順番待ちが出来ていたので、早々に切り上げた。
2005.7.4 術後4日目
朝6時に看護師さんに起こされて、2度目の採血。ところが、3回やってもうまく出来なくて、とうとう注射器で血液を吸い出し、試験管(?)に移されてしまった。「採血ヘタやねん。ごめんなぁ」って謝ってくれたけど、血管が出にくいわたしのせいでもあるし。しかし、朝から4箇所(両腕に2箇所づつ)もバンソウコウを貼られてしまった。
下剤のおかげでお通じは毎日あるものの、裂肛が再発してしまった。お通じのたびに赤い血がスタスタと落ちていく。看護師さんが来るたびに塗り薬が欲しいと言っているんだけど、まだだなぁ。手持ちは残り2本しかないのに。
週に何回か、ワゴンサービスの案内がある。それって何?と思っていたら、売店の出張サービスだった。ジュースやふりかけや、いろんなものが新幹線のワゴンサービスみたいに売られていた。これなら、安静で病棟から出られない患者さんでも欲しいものが購入できるわけだ。
午前中に栄養士さんが来て、今週の選択メニューを聞きに来た。あれー、明日退院の予定なんだけど、何で1週間分選ばなあかんのかなー?なんて思いながら好きなほうのメニューを選択した。
昼食が終わって横になっていたら、主治医のN先生に起こされた。研修医の女医さんをひとり連れていて、手術の傷口などを診察すると言う。診察室に入り、まず内診があったが、おりものの検査のときに、中に入れられた器具がとても痛かった。続いてエコーで子宮の様子などを確認するときに、「ここが内膜だから・・・」と指導している声が聞こえた。内診が終わっておしもを洗浄されたときに、腹帯の背中のところが随分と濡れてしまった。Tシャツのすそまで濡れたけれど、これは我慢できる範囲だ。腹帯は全部はずしてしまった。
続いてお腹の傷口を診てもらったが、傷口を押さえていたバンソウコウをはがすときが何やらくすぐったくて、お腹がひくひく動いて困ってしまった。お臍のすぐ下に1ヶ所、左脇腹に2ヶ所、右脇腹に1ヶ所の傷があった。経験者のHPなどで、傷口の縫合にホッチキスの針みたいなので縫い合わせてあったなんてあったけど、わたしの場合はテープで貼り合わせてあっただけだった。へそのゴマの掃除も、毛狩りも剃毛もされていない。抜糸や抜杭の痛みを覚悟していたから、ちょっと拍子抜けすると同時にやらなくて済んでよかったとホッとした。手際よくバンソウコウをはがし、消毒した後で新しい傷テープでピッピッと傷を押さえていった。
「このテープはお風呂とかでとれちゃうから、新しいテープと貼り換えてね。傷と直角に、皺を合わせるように貼ると傷口が目立たなくなるから。後で傷口がケロイド状になるのを防ぐ薬を処方するからね。3ヶ月は飲んで欲しいんだけど、marumaruさんは妊娠を希望しているから、1か月分だけにしとくね。服用をやめてから妊娠すれば、影響はない薬だから」
傷口を押さえるためにガードルなどを付けるのもよいと聞いた。最終的には指導医のY先生の診察があって退院の許可が出るらしいが、明日の退院でいいだろうとのことだった。
「ただねぇ、Y先生明日は忙しいんよ。火曜と木曜が手術の日やから。朝イチか、午後になるかも」
「わたしは構いませんよ。入院が1日延びたって、あまり不都合はないし」
夕方になって薬剤師の人が新しい薬と説明に来てくれた。どうも、出されている下剤と抗生剤の組み合わせで下痢が起こりやすいらしい。傷口をきれいにするのみ薬と、お尻の塗り薬が新しく追加された。
夕飯の後、義母に電話して、明日退院の予定だが、1日延びるかも知れないと伝えた。
手術の後歩き始めたときは膝から下だけで歩いていたが、今では足全体で歩くことが出来る。普通の人みたいにスタスタ歩くことは出来ないが、随分と回復したんだなと思う。
2005.7.5 退 院 (術後5日目)
昨日入院した同室の人が、今日手術のようだ。朝早くからいろいろと支度をする様子が感じられた。自分自身もこないだ通ってきた道だけに、「がんばって」と胸の中でエールを送った。
入院初日以来シャワーに入っていなかったし、昨日主治医の先生の診察もあったことだし、そろそろシャワーに入ってもいいのではと思った。ナースステーションでシャワーの予約を取り、午前中に入れることになった。
いよいよ入ろうかという時に、看護師さんが来て、指導医のY先生の診察があるという。あれー、Y先生は今日は手術で忙しいんじゃ?とおもったが、脱ぎかけていたTシャツをまた着て、診察室に入った。
昨日の主治医の先生の診察と同じで、手術箇所のエコーの確認と傷口の確認だけだった。エコー写真も見せてくれて、手術で切った後がうっすらと見えた。妊娠は3ヶ月くらい子宮を休ませればOKだが、基本的には半年、年末頃からチャレンジできること、次の生理は1ヵ月後くらいに来るだろうとのことだった。退院後の注意事項も何もなしで、ちょっと拍子抜け。以前にもらったパンフレットを見るとしよう。この診察で、今日の退院が決まった。診察室からの帰り、ナースステーションで看護師さんから、手首のリストバンドを切ってもらった。何か、やっと解放されたという感じ。
シャワーに入りなおし、髪を乾かしているところに入院費の請求書が来た。6月29、30日の分と7月1日〜5日までの分で分けられている。合計したら、20万にちょっと足らないくらい。大部屋だったのがよかったのかな。
ワンピースに着替えて荷物を整理していたら、隣のベッドの患者さんが話しかけてきた。入院中あまり会話をすることがなかったけれど、今日だけはおばさんの話し相手をすることが出来た。途中でお昼ご飯が来ても、おばさんは点滴だけでご飯がないので、話が途切れるまでわたしのお昼ご飯はお預けのままだった。
やっとお昼ご飯を済ませ、お化粧をしてから、退院手続きに行った。午前中に渡された請求書を持って、入院出納係に入金するだけ。病院玄関の外に銀行があったので、まずはそこで入院費をおろしてきた。入院中に夏のボーナスが入っていて、心底安堵した。しばらくは節約生活になるなぁ。
病室に戻って自分の荷物を引き取り、ナースステーションに挨拶をして病棟を出た。玄関ロビーまで来たところでいったん休憩し、息を整えてから病院を出た。義母に「退院しました」と連絡をすると、義父の仕事が4時までだから、迎えに来てくれるとのことだった。ゆっくりでも電車とバスで帰ろうと思っていたのだが、甘えることにした。それまでは、近くのネットカフェで休憩がてらゆっくりすることにした。
ネットカフェを出て義父を待つ間に、会社に退院の報告をした。4週間の病気休暇を3週間で切りあげたいことも話した。
小さな筋腫の種はまだいくつも子宮に残ってはいるが、妊娠に影響しそうなものは全て取り除いてもらった。早く回復し、今度こそ元気な我が子を抱きたいと思う。
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